それでも、大声を出していれば体力を使う。
小平太の周りの地面がすっかりまっ黒けになったあたりで、ようやく小平太は声を上げるのを止めた。
走ったのと叫びすぎたのとで、喉が痛くなってきたのだ。涙もそろそろ引いた。
あとはもう、荒い息としゃっくり上げる声が騒がしい森に響く。
それに被せるように、別の声も聞こえ始める。さっきの黒い影だ。
『小平太』
『泣くな、小平太』
人間にはただガアガアとしか聞こえない、その声を口々に喋っているのは鴉なのであった。こんな夜であるのに20羽くらいの鴉が群れていて、小平太の周りで落ちつきなく歩いたり飛び上がったり、地面をほじくり返したりしているのだ。
『なぜ泣いている』
『我らに話せ』
「ちょ、長次が…」
ようよう重い口を開きかけた小平太がそこで大きくしゃっくりをする。
『いじめられたか』
『まさか』
『天狗がいじめられて泣くものか』
「長次が…」
それでも小平太は同じ言葉を繰り返す。
「…長次が、感付いてしまった。私はもうあそこには居られない」
『だから泣くのか』
『ならば出てゆくか』
『御山へ行くか』
「行きたくない」
小平太が頭を振って、一番煩い手近の鴉を殴り飛ばす。当然鴉もそうやすやすと殴り飛ばされてはやらぬから、拳が首元に埋まる寸前にばさばさと羽音荒く飛び立った。
『何故だ、いいところだのに』
『御山へ行け』
『それはよい、よい』
『人間など、何がよくてつるむものか』
鴉はそれぞれ勝手なことを言っては互いに啼き交わす。そこへだんっ、と地面が揺れた。途端鴉が驚いて一斉に飛び立つ羽音がうるさい。
「お前らなぞどこかへ行けっ!」
一つ地団太を踏んだ小平太の両目から再び涙がせり上がってくる。
『どうした』
『まあ落ちつけ』
「お前らが…私が鴉と話したりするから、だから私はばれてしまったのだ」
『なんと』
『良い話相手だと喜んでいたのはお前ではないか』
「なんで私は鴉と話したりなぞ出来るんだ。人間なら、ずっといつまでもあそこに居られるのに!」
そう吠えた小平太は自分の周りに集まる鴉をねめつける。子どもながらになかなか凄みのある目つきだったが、人間でない鴉には大した効果は無いようだった。それよりぼたぼた地面に落ちる涙を見ては、いちいち飛び上がったり、足元に近づいてみたりしている。
『おおう。また泣いてしまったぞ』
『泣くな、泣くな』
慌てた鴉達が落ち着きを無くし、下枝まで飛び上がったりまた滑空して降りてきたりする。そんな中、一羽の鴉が小賢しそうに頭をちょこんと傾げて小平太に近づいてきた。つん、と小平太の足を軽くつついて注意を引くと、堅そうな嘴をぱっと開く。
『そんなにあの学園に居たいのか』
「そうだ。だけどそれももう出来なくなってしまった」
『何故だ』
ばれてしまったから、と呟く小平太の声は先ほどまでの大声からは想像も出来ないほどに震えて聞き取りにくい。
『誰に』
「長次…」
さっきも同じことを云ったのに、今さらになって鴉がざわざわとおめき始める。
『誰ぞ』
『我は知らぬ』
『知っている知っている』
『誰ぞ』
『先に子供らがじょろじょろ山に入ってきたときに見た』
『それなら我も見たわ』
『声の小さなあの子供』
『おおう、見たぞ、見たぞ』
『それなら先程見た』
『とっくに承知だ』
『違う、つい先ほどだ』
『真か』
『真ぞ』
『何処ぞ』
はっとした小平太が件の鴉を見上げる。
「長次が?!山に居るの?」
『泣くな、小平太』
『そんなに残りたくば助けてやる』
足元の鴉が両の翼を広げて、胸の毛を一杯に膨らませた。そうやって大きくなった影は不格好にも奇妙にも見える。
『そうだ、簡単なことだ』
『あの子供さえ居なくなれば』
え、とすっかり涙の乾いた眼を上げれば、そこには一羽たりとも黒い影は残っていなかった。
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