三反田は病室を駆けだした。あの蛇のことをすっかり忘れていた。もしや心療内科の入院病棟にでも入り込んでいたらえらい騒ぎになる。いやあの搬送の混乱の中、もし誰かに踏まれてなぞいやしないか。そういえば迎えに行くはずだった患者はどうした。
多くのことをいっぺんに思い出して、パニックで泣きだしそうになりながら角をまがった時、ふいに現れた人物とあやうく正面衝突しそうになった。
よく見れば、臨床工学技士の初島孫次郎である。普段下がり気味の眉を目いっぱいあげて固まっていた初島は、混乱している三反田より一瞬早く己を取り戻すと、彼に何かを差し出した。反射的に受け取って見れば、あのリボン飾りのついた籠である。しかもずっしり重い。
「これ、」
「怪士丸が泣きついてきて、心療内科の診察室に行ったらこれがいたんです。僕、何度かじゅんこに触ったことあるから、途中で籠を見つけて保護しました。伊賀崎さんに渡しに行こうと思ってたけど、ちょうどよかった」
「あ・・・」
いまだ冷や汗が止まらぬ三反田は、莫迦のように頷くしかない。
「それと、患者さんは怪士丸が代わりに連れて帰ったので、それもよろしく伝えてくれって」
それだけ言って、ぴょこんと頭を下げた初島は足音も立てずに帰って行った。安堵と共に情けなさが押し寄せてきて、いかに自分が普段の状態でなかったか思い知らされる。暗澹たる気持ちになって、じゅんこ入りの籠を抱えてそろそろと病室に戻った。
病室を覗けば、パイプいすを引き寄せた竹谷が伊賀崎の額の汗を拭いてやっており、居場所を失ったような気がした三反田は、枕元のサイドテーブルに籠を置いて一礼してそこを出た。丸めた背中の後ろで、籠を開けたらしい伊賀崎の嬉しそうな声が響く。
「あ、三反田先輩、どうでした?」
ナースステーションに戻ると川西左近に声をかけられた。意識が回復した旨と竹谷が傍についていることを話すと、ふーんと言って興味がなさそうに業務に戻っていく。在室か否かを示すランプの列を見れば、例の患者はきちんと自室にいると分かってため息が漏れた。
午後は外来が忙しくなる。その前に昼食を摂れば気持ちも切り替わるだろう、そう思って三反田は食堂に足を向けた。
食堂はすでに混みはじめていたが、二人掛けのテーブルに座っていた外科師長の浦風藤内を見つけ合流する。
癖の強い外科の看護師たちを束ねる彼も激務のはずなのに、今日もちりひとつ、しわひとつない白衣が目にまぶしい。
「あ、数馬ってば髪になにかついてる・・・なに、これ犬の毛?」
三反田のふわふわした髪から一本の短い毛をつまみとり、眉根を寄せる。
「ああ、たぶん孫兵か竹谷先生からもらったんだ・・・・孫兵はちゃんと払ってくるから、竹谷先生かな」
「またあの人、そのまま来たの?
病院にはアレルギー患者もいるから、着替えるか掃除機で吸ってからいらしてくださいって、再三申し上げてるのに」
真面目な彼らしい、あからさまに不機嫌な言い方がおかしくておもわずくすりと笑った。
第3章へ 戻る