12:40
「団蔵、んな落ち込むなって」
ここは病院に戻って待ち合い室。居ても立ってもいられないと正面玄関前で待ち受けながらしょんぼりとうなだれる団蔵を、きり丸がなぐさめていた。
「しょうがないよ、他の患者だっているんだし、そんな四六時中見てることなんかできねぇって」
「だけど、もしなんかあったら…」
「まだなんかあるって決まったわけじゃねえだろ?」
団蔵はそうだけど、と小さく呟いたまま答えない。田村は任暁を連れて他の患者の診察に行き、何かあったらすぐに呼び出せと言い残して今はどこにいるか知れない。その呼び出すための黒い携帯を握りしめて、団蔵は溜息をつくのだった。そんな団蔵を、患者の家族が時折暗い顔でちらちら見ている。正面玄関を通ってくる外来の患者や見舞いの人も、深刻な表情でたたずむ看護師に対して何事かといった表情を向けてくるのだった。
「ったく、覇気がねえなあ。お前がおろおろしてたら、家族の人ももっと心配になるだろ。きっとすぐオッサンは見つかるし、手術も予定通りできる。な?」
きり丸はそういうしかなかった。そろそろ彼自身の休憩時間も終わるのだ、そうしたらまた裏に戻って診療点数の処理をしなければいけない。なんだかこの騒ぎで病院中に落ちつかない嫌な空気が漂っているのがびんびんと身にしみるが、仕事は仕事だ。それも時給換算だ。
「元気出せよ、団蔵」
1:43
あと残すところ一時間を切った、この時事態は急激に動いた。
「団蔵!」
他の患者が大勢待っているにも関わらず、任暁左吉が大声を出して駆け寄ってきた。最も、怒鳴った瞬間に周りの状況に気がついて、赤面したようだったが。色白のせいで頬の赤みが目だって見える彼は、何事かと振り返った団蔵の傍まで来ると、息を切らしながら強い調子でせっついてきた。
「馬鹿、何やってんだこんなとこで。早く救急の受け入れへ来い」
「え、見つかった?」
「なんだ、聞いてないのか?なんだかよく知らないけど、今搬送中らしい」
「…え、って発作?!ど、どうしよう…」
「いいから早く行け、お前がいなきゃ誰が担当するんだッ」
「お、おう!」
雷に打たれたように、団蔵はサンダルの音高く走り去って行く。本当は病院内で走るのは禁止されているのだが、この際誰も咎める者などいなかった。白衣の背中が小さくなっていくのを、外来受付のカウンターに座っていたきり丸が心配そうに見送っていた。
五分ほど前。
富松作兵衛は住宅街を足早に歩きつつ、先ほどから何度も携帯のリダイヤルボタンを押していた。携帯電話という文明の利器は人を探すのに絶大な威力を発揮するはずである。だが、あの迷子二人に関しては何故かほとんど役に立たない。大抵は三分四分とむなしくコール音を聞くか、あの腹立たしいくらいに落ちつき払った例の「おかけになった電話番号は、電源が入っていないか、電波の届かないところにあるため、かかりません」という録音メッセージだ。
今日は、何度掛けてもどちらに掛けても後者であった。しばらく待った後で、もはや耳馴染みになってしまった女性の声が「おか」を言った瞬間に富松はもう一つのボタンを押し、盛大に舌打ちをする。
「電波の届かない場所ってどこだよ、ここは21世紀の日本だぞ、どこに行けば電波無くなるんだバカヤロウ」
地下鉄に乗って広大なるアンダーグラウンドワンダーランドに旅立ってしまった、という恐ろしい可能性には気がつかないふりをして彼はそう愚痴る。もしそんなことになってしまっていたら、富松でさえまず見つけるのは不可能だし、あの二人だけでは自力で明日までに戻ってこられまい。藤内の奴、面倒くせえことをしてくれやがって、と唸る藤内は白衣の天使どころかちょっとしたチンピラ並みのガラの悪さである。
住宅街をひたすら歩きまわっている彼だが、あては無い。あの二人の行動パターンはでたらめすぎて、数打ちゃ当たるの論理であちこち行ってみる以外に、探す方法が無いのだ。炎天下、足を棒にしなければならない富松の機嫌はふつふつと湧き始めている。
がしかし、もうほっといて帰ってやろうか思った瞬間に握ったままだった携帯が震えた。発信者は次屋である。音速で着信ボタンを押した。
『あー、さくべ?何か用?』
実に暢気な声であった。
「何じゃねぇぇぇぇぇ!!どこに居るんだお前、ただでさえ病院内が患者の捜索でひっくり返ってるときに、お前らまで探してる余裕はねえんだって」
『あー、そのことか。南野園、だっけ?その人なら今一緒に居るから』
「は」
富松の思考が止まった。思考だけでなく、足も呼吸も、むしろ生命活動そのものが一時的に止まった。
「…え、今一緒に居るって…」
『うん、病院向かってっから』
「おおおお前、まさか南野園さんを案内してるんじゃないだろうな、一生病院着かねえぞ」
『いや、救急車呼ぼうかと思ったけど』
「まずいのか?!」
最悪の二文字が頭の中で点滅し始める。ああ、もし発作が起きて容体が急変して搬送が間に合わなかったら。
『そこまででも無かった。応急したら意識回復したし』
幸いなことに、次屋の落ちついた口調が富松の頭の点滅を消してくれた。いやだが待てよ、応急したって、発作起こしてるんじゃないか。
「…連絡、連絡は?病院には言ったのか」
『や、まだだけど、え、何そんな大事なんの。ただのオッサンだけど』
「そのオッサンを今病院中のスタッフが探し回ってんだよッ」
大声を出すのは大人げないと分かりつつも、声を荒げずには居られなかった。どうやら藤内からは事態の重大さを説明されていなかったらしい。しかも、発作を起こしてしまっているのだ、小康状態とはいえ。軽いパニックが戻ってくる。
『えーわかった、や、よく分かんねえけど、とりあえずこのままパトカーで救急搬入するから、準備よろしくな。あ、ちなみに左門が後で隠し子連れてくるから』
「は?え?」
『それがさあ、』
ブチッ、ツーツーツー。
電波が届かなくなったらしい。もう一度掛けなおすが、応えてくれるのは例の「おかけになった嬢」だけだ。
なんでパトカーで隠し子なのか。最後の台詞が意味不明すぎて混乱する富松であったが、とにかく患者が見つかったこと、病院に向かっていることだけは分かった。病院に一報を入れようとしたところで、今度は神崎から着信があった。
「左門ッ!」
「もしもし?あのな、今な、頼まれてた人の隠し子ってゆー女の子と一緒なんだが、これから病院行くぞ。じゃ」
「待て待て待てィ!お前、ぜんっぜん意味わかんねえ」
通話を開始した途端にまくしたてたかと思えば、一方的に切ろうとした神崎を辛うじて間に合って押しとどめ、富松はわめいた。
「だからさ、あの人は隠し子に会うために病院抜け出したんだって。で、途中で倒れちまって、そこをオレらが見つけて、三之助が病院連れてって、で、オレが代りに連れてくるからって約束して迎えに行ってたんだよ」
「…はあ、何か頭がぐらぐらしてきた」
「寝不足はいけないぞ」
「てめえらのせいだコンニャロー。…てことは今、その子と一緒にいるんだな」
「ああ、家に行ったらばあちゃんは腰が痛くて動けないんだと」
「道わかるのか」
「道?分かるだろ。とりあえずまっすぐ」
「…分かってねえよなあ、そうだよなあ…ああもう」
多分、ここが住宅街の真ん中で無かったら、富松はその場に突っ伏していただろう。だが、人の目もあることなので、電柱にもたれるだけで何とか湧き上がる脱力感をやり過ごした。
「いいか、動くんじゃないぞ。周りを良く見ろ、何が見える?」
「えー、と公園?と自転車置き場と、あと、○○マート」
「○○マートだな?いいな、絶対にその場から動くなよ、お前だけじゃなくその女の子が今晩家に帰れるかも懸かってるんだからな。そうだ、公園にでも行ってアイス買って座ってろ、動くなよ」
神崎はどこか不服そうであったが、富松の気迫が電話越しに伝わったのだろう、結局は座って待つことに同意した。
「待ってろよォォ、絶対見つけてやるからな!!」
富松の(声には出さなかったが)雄たけびが天を揺るがしたのであった。
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