綾部はすでにスタッフルームから消えていた。任暁もすでに捜索に加わったらしく、あとにはすっかり飲み干されたコーヒーのマグと、なぜか可愛らしく結ばれた五つの砂糖の袋、山と集められたクッションが残るのみだ。
綾部の面倒を察知してからの素早さときたら、普段の気怠さを知る平からすれば信じがたいほどである。とはいえなかば予想していたことであるので、平は無人のスタッフルームに施錠し、正門へと向かう。
どうせ携帯にも出ないだろうから、直接捕まえる他ない。同じ敷地内なのだし、あとで研究室に押し掛ければいいだろう。大学病院というのはそれが便利だ。
こちらも田村の予想通り、薬局にタカ丸の姿はなかった。おとなしく講義を受けているとも思えないので、携帯の使える受付外のスペースで遠慮なく彼の携帯にかけてみる。相変わらず、三コールであの間延びした声が出た。
「三木くんー?」
「タカ丸さん、今どこにいるんですか?」
「んーちょっと駅前をね、ぶらぶらしているとこ」
「よかった、申し訳無いんですが緊急なんです。患者がいなくなって…」
「あ、ちょっと待ってね」
電話の向こうで、病院から緊急だってーごめんねーというまったく緊急性を感じさせない声と、何やら甘ったるい返答が聞こえてくる。どうやらデートを邪魔してしまったらしいが、タカ丸の相手などそれこそ掃いて捨てるほどいるので、ひと一人の命がかかっている田村としては罪悪感を感じる必要はないはずだ。しかし一応謝罪と気遣いはしておかねばなるまい。
「もしもしー?」
「お邪魔してしまったようですみません。大丈夫でした?」
「いいよいいよー 次埋め合わせするから、って言っといたから」
「じゃあ・・・」
簡単に経緯と患者の外見を伝え、電話を切る。さっきから看護師たちが何度も横を通ったから、そろそろ団蔵の呼びかけが効いてきた頃だろう。
正門を抜けると、予想に反して小さな人だかりが田村を待っていた。さすがは組、こういう時の団結力は頼りになる。
先程タカ丸にした説明を、10人ほどの看護師や事務員たちに繰り返す。驚くべきはその中に、心療内科の医師、不破が混ざっていたことだ。目で確認すると、大丈夫とでも言うかのようにふうわりと笑って頷いてくれた。
よろしくお願いします、と頭を下げ、散り散りに出て行く捜索隊を追って自らも出発しようとしたとき、平の声に呼び止められた。
「三木エ門、タカ丸さんは?」
「今駅にいるそうだ。改札を見張ってくれるよう頼んでおいた」
「そうか・・綾部はもういなかったよ。それでさっき小松田さんに南野園氏を見かけなかったか聞いたんだが、」
「言わなくても予想がつくよ・・」
「…小松田さんは南野園氏と同じ服装の男性が正門前から出て行くのを見たそうだ。入出館届が必要な時間帯でもなかったけど、ちょうどドアのところで胸を抑えて苦しそうにしていたんで、大丈夫ですかと聞いたらしい。そうしたら外出許可をもらっているからと言われ、少し落ち着くのを一緒に待って、見送ったのが10時15分…」
「見送った!? 明らかに入院患者が具合悪そうにしているのに、どうして止めないんだよ!?
っていうか医者に連絡しろよあのマニュアル小僧!!!」
「まったく同感だ・・・」
二人してため息をつく。明るい日差しにも関わらず、ふたりのまわりにだけ落胆という暗雲がかかっているようだった。こうしてお互いの状況を確認し合ったところで、改めて捜索に加わるべく足を踏み出した田村を平が押しとどめた。
「待てよ、三木エ門。お前は残れ」
「そういうわけにはいかない。失踪したのはうちの患者だ。うちの責任でもある」
「だからこそだ!
状況がわかる者がみんな出払ったら誰が指揮するんだ。大体他の患者もいるだろうに、助教授も助手も揃って留守にするわけにはいかないだろう」
「・・・・。」
「状況は逐一報告する。それより、」
と、平が声を低める。
「手術が近くなったらマスコミが入るぞ。うまくやれよ」
「あ、ああ。ところでお前は七松先生の許可をとったのか?」
「午前中は搬送が少ないし、先生は先生でやりたい放題だからな。たまには私だって好きに行動したっていいだろう」
にやり、と笑って平は溶けそうなアスファルトの地面に飛び出して行った。
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