「で、刺したのはどんな奴だった?」
場面は戻って救急の病室。熱心に尋ねる善方寺だが、その声音には困惑がにじんでいた。先ほどから事件の状況を聞き出そうとしているのだが、一切答えが返ってこないのだ。患者はただ、ふてくされた表情をしたまま指を絡めたり離したりしている。被害者のはずなのに、これではまるで犯人に尋問しているようだ。真犯人が見つからなければ指を切らなければいけないのに、と善方寺は焦れながら一文字も書かれていない手元のメモを見つめる。
そこへ、七松が大股で入ってきた。
「いさっくんは騙せても、傷を診た私はだませないよ。あんた、自分で刺しただろ」
びくん、と患者が頭を跳ねあげる。その両目にはっきりと怯えの色が浮かんでいた。
「なんだって?」
「傷は深かったけど、無意識に急所を避けてる。他人にやられたにしては角度も変だ」
善方寺の問いに、自分もかつてやんちゃをしていたと認めたことのある七松がすらすらと答えた。
「おおよそ、借金で首が回らなくなって、組の金に手を付けたってとこじゃない?襲われたなんてのは自作自演だ」
「…」
「な、あの場では私も医者だからああ言ったけど、指の一本や二本で済むなら御の字だ。とっとと退院して土下座して詰めてもらえ。それに多分、あんたのとこの組頭は気づいてるよ。気付いて指でいいって言ってるんだ」
そんな、と患者の男は低く呟いて、ガタガタと震えだした。
「そうなの?えーと、どうせ…堂瀬さん?」
「す、すみませんッ、その通りです。先生を騙すつもりはなかったんです、ですけど、もし手をつけたのがバレたら指どころじゃ済まないから…。だけど、あっちの先生の言う通りです、潔く詰めてきますッ」
サイドテーブルにある新聞紙の包みを堂瀬が今にもひったくりそうにするのを、慌てて善方寺は押し止めて、
「待って、待ってよ。狂言だったっていうなら、せめて理由を聞かせてくれないかな。もしかしたら力になれるかもしれないし」
「甘いなあ、いさっくんは!」
と七松。
「だって、やっぱり指を落としてもいいだなんて、裏に相当の事情があるに違いないよ。ね?」
「そ、その…そうなんです。実は、おふくろが妙な宗教にハマってて…体調が最近すぐれないそうなんですが、その、なんつうか、『教祖様にお清めを受けないと死んでしまう』っていうもんですからどうしても…。おふくろが騙されてるのはわかってるんですが、俺は若い時から迷惑かけたっきり、何もしてやれなくて、それでおふくろの気が済むなら、と思ってしまって…」
「それで三百万円?」
「あの、どうも、教祖に直接会うにはそれくらいのお布施を出さなきゃいけない、とかで…」
下を向いて、肩を落としたまま堂瀬はぼつぼつと話し始める。
「お母さんの体調が悪いって言ったよね?医者には見せた?」
「それが、根っからの医者嫌いで…おふくろが言うには胃の調子が…」
ふんふん、と善方寺は頷きつつやっと面目躍如のメモをとる。その光景に七松は軽く肩をすくめ、勤務に戻ることにした。だいぶ顔色の回復した時友が顔を見せたからだ。
「七松先生、一件受け入れ願いです。恐らく脳梗塞発作、69歳、男性」
「よし、皆本、滝を呼んできてくれ!」
その夜。病院からやや離れた繁華街の居酒屋で久々知は尾浜を待っていた。卓には半分ほどになったビールと冷ややっこがある。
「ごめん、ごめん、出がけになって後輩に呼ばれちゃってさ。待った?」
「いや、俺もさっき来たところだから…」
尾浜はとりあえず同じビールと枝豆を注文し、お通しに箸をつける。
「どうしたの、急に相談したいことがある、なんて。病院の人には言えない話?」
「…勘ちゃん、俺、引き抜きの話が来た」
きんぴらを運んでいた尾浜の、手が止まった。
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