受付で騒ぎを巻き起こしたこの集団は、当然救急でも台風の目であった。


「なんてことさせるんですか!」

 先ほどの小松田よろしく、威圧的な男たちの前に立ちふさがるのは准看護師の皆本金吾だが、その語尾はわずかに震えていて顔面は蒼白だ。
 後ろには、同じく真っ青な顔をしている患者が、ベッドから半身を起している。頭に入ったそり込みとガタイの大きさからして、彼も同じくその筋の関係者だと知れた。異様なことに、その毛布の上には分厚い木のまな板と出刃包丁が載っている。

「ほら、早くやってしまえ。組の金を奪われておいて、まさか何の始末もつけずに済むと思ったわけじゃないんだろ?」
 と、看護師など目にも入らぬふうに雑渡が命ずる。口調はあくまで普通だが、たった一つ覗く眼光には有無を言わせぬ凄みがあった。患者の男はうなだれたままじっと包丁を見ていたが、終に震える右手を包丁にのばした。

「…! 駄目ですよ、止めてくださいッ!」

 止めようとした皆本の肩を一人がぐいっと掴む。
「組頭の邪魔をしないでもらおうか」

「…ッ」

「おいおい、私の救急で血を流そうっての?」

 後ろから声が上がった。ERドクターの七松小平太が、ドアに凭れて腕を組んで立っていた。医者ではあるが、いまここにいるヤクザ者たちの誰にも負けず劣らずの体格をしており、首の太さはプロレスラー並みにある。泥酔して暴れる患者も多いERを切り盛りする彼は、既に両目にらんらんと好戦的な光を宿していた。
 彼を連れ帰ってきた看護師の時友が、肩で息をしながら心配げな目を皆本に投げてくる。

「せっかく治した患者だからな、うちの病院に居るうちにやるってんなら、こっちにも心づもりがある」
 その不穏な調子に、侵入者たちが一斉に色めき立ち、一番健康なはずの時友の顔色が貧血より白くなる。だがそこにもう一度割って入った者があった。


「他の患者さんが怯えてるんで、帰ってください」

「善方寺先生!」

 救急の手伝いに来ていたこの内科医は、癖のある長めの黒髪にくりくりとした目もあって実年齢より若く見られることが多いが、その両目をきっと吊り上げて睨む様子はなかなか肝が据わっている。病室の壁ぞいに移動してくると、ベッドと男たちの間、皆本の横に並んだ。

「残念ながらそういうわけにはいかない。不始末は即償うのがウチの組の鉄則だからね」

「償うって、指を詰めさせるってことですか」

「そうだよ」

「だけど、この人は刺されたんでしょ?」

「刺されようが殴られようが、金を無くしたことには変わりないからね。責任はとってもらわないと」

「だけど、指を切るだなんて…」

「それが決まりなんでね」

 皆本を抑えていた若い男、いかにもな柄シャツから伸びる二の腕に登り竜の刺青をしているのが真ん丸な童顔と不釣り合いである、が焦れたのかさっさとやれ、と唸った。
 ひどく震えながらも、患者の指が包丁を掴む。

「待った!!…じゃ、じゃあお金が戻ってくればどうなんですか」

「うーん。まあ、金額も三百万だし、取り戻せたなら不問にしてやってもいいかな」

「組頭…」

 登り竜の男が何か言いかける。

「まあいいじゃないの、諸泉。戻ってくるなら」

「本当ですね」

「約束は守るよ。ただし逃走されちゃ困るから、期限はこいつが退院するまで。その間に先生が犯人を見つけられたら指は勘弁してあげよう」

「分かりました。何とかしてみせます」

 えええーーと、皆本の口からか細い悲鳴が上がった。

「無理だと思うから、諦めたらいつでも言ってきなさい。先生が他人のためにそこまですることないでしょ」
 と、置き台詞を残し、雑渡はくるりと背を向ける。すぐにほかの男たちが壁際に一歩下がり、いささか容量オーバーの病室で彼のために道を開ける。諸泉と呼ばれた男は、包丁とまな板を新聞紙でくるむと、これ見よがしにサイドテーブルへ置いた。
 「お帰りは待ち合いじゃなく、非常口からお願いします」と、善方寺の声が追い被さるのに、雑渡の右手がわずかに上がった。



 さて、救急の非常口に繋がる普段使われない薄暗い廊下、そこに茶色の長イスがいくつか置いてある。そのうちの一つに、昨夜の次屋の言葉を借りればまるで
「お祭り」のような搬入ラッシュ、そのまま朝イチのオペを乗り切った平滝夜叉丸外科助手が仮眠をとっていた。仮眠、というより精根尽き果てて崩れ落ちた、と言った方が正しいかもしれない。とにかく、身だしなみに気を使う普段の彼が見たら思わず胸を叩いて嘆き悲しむような、髪はボサボサ、服はしわくちゃのボロ雑巾のような態で彼は寝ていたのである。

 その値千金の貴重な彼の眠りは、何対もの足音によって破られた。薄眼を開けてみれば、まさかの強面の集団が歩いてくる。しかも、先頭を行くのはミイラの如く全身に包帯を巻いた男だ。あまりの光景に固まったままの平の脇を、その集団はぞろぞろと歩き過ぎて行く。寝たままの姿勢で固まっている平には目もくれない。もしかすると、本当にボロ雑巾が積んであると思ったのかもしれなかった。


「ねえ、善方寺先生だっけ、あの子気に入ったな」

 ミイラ男が漏らしたその言葉が、寝起きの平の耳にやけに大きく響いた。



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