第4章
ガラス張りのテラス越しに燦々照りの陽光が降り注ぐ昼下がり、売店に久々知平助の姿があった。
「あ、いらっしゃい」
可愛げのある八重歯を覗かせて営業スマイルを浮かべるのは、アルバイトのきり丸である。彼がここにいるということは、医療事務の方のパートは非番らしい。
「メントスある」
「えーと、最近配置換えしたんスよね…。ほらここ、レジの横になったんです」
言われてみれば確かに、緑のキシリトールガムや何やらと一緒にあの筒状のパッケージがワイヤーラックの上に整然と並んでいる。レジにぴったりの小銭を置いて、グレープフルーツ味をひとつつまみあげた。
「はい105円。毎度ゥ」
そうして出て行こうとした時。
「あー、久々知せんせー」
クリーム色の院内いっぱいのお日様の光を束ねたような、なんとも脱力感あふれる明るい声が響いた。金色にブリーチしてセットした髪の毛を揺らしながら、相変わらず派手な服装の薬剤師見習いが飛び込んでくる。今日はきゅっと締まったスキニージーンズにラメの入った赤系のチェックのシャツを引っかけているのだが、その下は何故か蛍光緑のティーシャツで、ごついシルバーのアクセサリが首からぶら下がっており、足元は紫のハイカットだ。九々知は人の見た目に鈍いほうだが、どうもこの自称斎藤薬局の跡継ぎが同じ服を着ているのを見たことが無い気がする。
「聞いたよー。この前舞田けいこが来てたんだって?サインもらった?なんで教えてくれなかったのさぁ」
「いや、仕事中だったから。それに、タカ丸さんはその時間大学あるでしょ」
「代返効くから大丈夫。…あ、僕もメントス」
「どもっ、105円でーす」
いや、そういうのを大丈夫とは言わないんじゃないか、と彼が二回目の留年中であるのを知っている久々知は心の中で突っ込む。
「あれ、なんかせんせー元気なくない?」
片頬にメントス大のこぶを作ったタカ丸が、急に口調を変えて尋ねてきた。
「え、そんなことないけど」
「そう?なんか肌にツヤがないからさあ、あんまり寝てないのかと思って」
「たまたま忙しかっただけだよ」
「そう?たしか疲れ肌にはビタミンCが効くんだよ。今度処方してあげよかっか?」
「うん、別の人に頼む」
ぎゃん、とタカ丸は大げさに吠えて、いつもお気楽にだらけてるような眉尻をさらに下げてみせた。
「信用されてないー?」
「いや、タカ丸さんまだ免許取ってないし」
さらにタカ丸が何か言いだそうと口を開いたとき、何やら入り口付近が騒がしくなった。
「どけよコラ!」
一分前まで平和そのものだった院内に怒号が響き渡る。
「だから!ご訪問の方は入館表にサインをいただくことになってるんですってば!」
同じくらいの音量で響くのは、警備員である小松田秀作の一本調子だ。久々知とタカ丸は顔を見合わせ、どちらからともなく駈けだした。その先には明らかにそのスジの人と思われる服装をした十人ほどの集団がおり、気丈にもブルーの制服をきた小松田が両手を広げて通せんぼしている。その様子は確かに健気ではあるが、正直猪の前のイトトンボくらい無謀な挑戦に見えた。
「オイ兄ちゃんよォ、俺らがどういう人間か見えんのかなぁ。いいからさっさと通せ」
「無理ですよ、サインもらわなきゃ通せないんです!」
「テメェ、どけっつってんだろ、聞こえねぇのか!」
と、ヤ印の男が一歩踏み出し、同時に走り寄っている二人の背筋が瞬時に凍った瞬間、
「まあいいじゃない。サインくらいしてあげれば」
とのんびり集団をかき分けて登場したこれまた異様な風体の男が居る。その風貌に小松田さん、と呼びかけた二人の呼吸が止まった。
「はい、じゃあここにお名前とご連絡先を」
「雑渡昆奈門、連絡先はタソガレ組本部事務所。ねえ、昨夜ハラに包丁ブッ刺して運ばれてきた、大馬鹿野郎に会いたいんだけどね。救急はどっち」
「あ、だったらこの廊下を突き当たってエレベーターで一つ下ですよ。お見舞いですか」
「そう、お・見・舞・い」
と、その男はにやりと笑う。
ヤクザでもお見舞いしにくるんですかー、偉いんですねぇなどと頷く小松田には『お見舞い』の明らかに血なまぐさそうな含みは効かず、部下らしいヤクザ者達の物騒な視線も効かない。小松田のコメントを除けば水を打ったように静まり返った待ち合いを、顔前面に包帯を巻き付け、片目だけを覗かせた男は悠々と横断していくのであった。
「七松せんせーが、あんまり怒らないといいけど」
タカ丸の呟きが、硬質の空気に落ちた。
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