姫と盗賊



 文次郎は思案していた。
 目の前には後ろ手に縛られ、目隠しをした仙蔵がいる。ただし、女の姿で。
 山賊たちが囃す下種な言葉と獣のような息遣いが二人を取り巻いていた。




 晩夏の空気はねっとりと湿気を含んでいる。それでも頭上を覆う広葉樹の葉が日光を遮りかすかな風に葉ずれの音を立てるおかげで、気の持ちようではずいぶんと過ごしやすくなった頃。
 笠で顔をかくしているとはいえ、ほのかに見える口元の艶やかに色めいた女が緋色の派手な着物で山道を歩けば、山賊が気付かぬはずはない。峠を少し過ぎたあたりの、大きな岩が道の両側にそびえたつあたりで女は10人ほどの集団に囲まれた。どの男の顔も泥と埃で黒光りしており、悪臭を放つ蓑と鉈や刀という道具立ても似たり寄ったりだ。しかしお決まりの台詞と共にうちの一人が細い手首をつかんだとたん、女が掴まれた点を支点に手首を返し、面白いように反転した山賊の体は地面にたたきつけられた。

「汚らわしい手で触るな」

 凛とした声が響き渡った。


 女の気丈な態度は、かえって賊の目を血走らせるものである。だが女は一筋縄ではいかなかった。
 後ろから抱きついてきた男には鳩尾に肘を食らわせ、前から鉈を振り上げて迫る男にはそれより早く左手が伸びて目を潰す。裾が乱れ、細く白い肢が見えるのにも構わず、足元に縋りつこうとした男の顎を蹴りあげる。その時引きちぎらんばかりに袖が引かれ身体の平衡が崩れたが、倒れかかる勢いを利用し肩の急所を突く。蛙のような声を上げてうずくまった男を突き飛ばすと同時に体勢を直したところへ、別の男の拳が襲いかかった。
 それを横から難なく受け止めたのは厚い男の掌だった。莫迦、顔に傷を付ける気かと短く罵ったその男の顔に、女が素早く目を走らせる。間髪をいれず男は無駄のない動作で手刀を繰り出し、女が辛うじてよけた瞬間、素早く後ろに回ってその両手首を拘束した。
 ぐっとねじり上げられて観念したのか、女は大人しく首を垂れた。

「・・・っはぁ、手こずらせてくれるぜこのアマ・・っ」

 先程顎を蹴られた男が、形のよい顎を掴み笠を払いのける。果たして笠の下にあったのは、紅い形のよい唇と気の強そうな眦、紅潮した頬と滑らかな素肌であった。
山賊の目が欲情に光り、顎を掴んだまま髭面を青白い面に寄せようとしたその時、間にすっと白刃が割り込んだ。
「手を離しな。手垢がつくだろうが」
女の手首を片手一本で抑えた男が、いつのまにか刀を抜いていたのだった。

 女はわずかに下を向き、唇を噛んで無言である。手首を縛りあげられる間も、耐えるかのようにわずかに身体を震わせ、折りふしに目を上げては四方八方から飛ぶ好色な視線をにらみ返している。先程彼女を捕えた男は手際良く縄をかけ終え目隠しをすると、さも当然のようにその身体を肩に担ぎあげた。女はふいのことにもがいて暴れるのだが、いかんせん、腰から尻の上辺りにまわされた腕はぴくりともしない。そのとき、別の山賊が髭面ににんまりと笑みをはりつかせて寄ってきた。

「よう、兄ちゃん。その女は俺が運んでやるよ」

「結構。こう見えて頑丈でな」

 じろりとねめつけた目は隈に縁どられ、有無を言わさぬ気迫があった。声をかけた男はなにやらぶつぶつと呟きながら仲間のもとに戻っていく。けーんと一声、雉が鳴いた。




「健気なものだな。それは私を守っているつもりか」

「黙ってろ莫迦」

 女を担ぐ男の耳のから、押し殺した低いささやきが聞こえてきた。
 これが可憐な女の声であるはずもない。担がれているのは女装した立花仙蔵で、担いでいるのは同室の潮江文次郎なのである。
 そもそもこの任務、女装した仙蔵が囮になり、文次郎が婦女を浚う山賊に潜入するという計画だった。山賊とはいえ烏合の衆であり、忍術学園6年の双璧をなすい組の二人が乗り込めば造作もないのだが、わざわざこのような潜入方法をとったのは山賊の首領だという男を引っ張り出すためである。一説によればその男、数年前の騒乱の首謀者で検非違使からも追われる身らしい。下手に山賊だけをつつくと逃げられてしまう恐れがあったため、伝え聞いた首領の趣味に合わせ、仙蔵のなりは普段の壺装束ではなく少し着崩した婀娜な緋の小袖なのだ。

「・・・ッ、お前すこし目方を増したんじゃないか」

「女の装束は何かと物入りなのだ。どうした、足元がふらついているぞ。これしきが支えられないとは鍛錬馬鹿が聞いて呆れる」

「お前なぁ・・・」

 相変わらずひそひそと会話を交わす二人の周りを巻きこむように、緩慢に隊列は進む。やがて山賊の一行は、二列になった逆茂木に屋根を渡しただけのような粗末な小屋に到着した。よしずのような屋根の下には10畳ほどの空間があり、その奥には岩屋の入り口が見える。

「着いたか」

「ああ。ここ数日潜りこんでいるが、例の鷲鼻の小男だけが岩屋に入って命令を伝えてくる。入り口に不寝番がいるんで中にも入れねェし、首領とやらの顔を拝むのは初めてだ」

「だが女を連れて来いと言ったのはその首領なのだろう?」

「鷲鼻の奴が言うにはな。ともかく、お前だけはあの中に入れさせるだろうぜ」

「おい、新入り!女を下ろしな」

 隊列の先頭を歩いていた鷲鼻の男が振りかえり、顎をしゃくり上げながら命令した。
 たしかに上背はないが、がっしりとした体つきであり、特徴的な鷲鼻の左右に穿たれた深い眼窩の奥には、小さな目が兇暴そうに光っていた。



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