証 2




 頭の先から足の裏まで泥だらけ、草の匂いをまとった三人を太陽の熱と光が乾かしていく。こびりついた泥はあっという間に白くなり、こすれば簡単に落ちた。初夏の日光のおかげで、露で冷えた身体もすぐに温まった。ただもう笹やぶは随分遠くなったというのに、あの甘いような笹の香りだけは熱に焙られた香のように三人を包んでいた。
 峠を二つ越えた頃だろうか。ふと前を行く二人の子どもの足が止まった。顔を見合わせ何やら首を傾げている。

「どうした」

「それが……」

「たしかにこの辺だったと思うんですけど」

 嫌な予感はするが、露骨に顔をしかめたくなるのを我慢する。

「名人の庵に通じる道の脇に、たかぁい柏の木が立ってたんです。僕たちそれを目印にすればいいや、って、思ってたんですけどぉ…」

 先日季節外れの嵐があって、学園も随分と雨風を感じたものだが、このあたりはさらに被害が酷かったらしい。少しでも幹が弱っているものは軒並みなぎ倒されて、すっかり日当たりがよくなっている。随分と風景が変わっている上に、柏はこの一帯では珍しくもない木である。要は三人揃って迷子というわけだ。

「森の中で木を目印にするのは危ないと習わなかったか……。なにか他に覚えていないのか」

「んーと、木の根元に、蛙の形をした石があったような気がしますぅ」

 大きさを尋ねれば、このくらいと言ってしんべえが小さく手を動かす。戸部の両手に載るくらいの大きさらしいそれが、この倒木と落ち葉だらけの地面の中で見つかるかと気が遠くなったが、とにかく三人で手分けして探すことにした。ただし姿が見える範囲にしろと念を押すのは忘れない。


 柏らしき倒木を見つければ苦労して細い丸太をどけ、腰を屈めて石を探すもののやはりなかなかそれらしい石は見つからない。その時、本道から少し離れた沢に、戸部は人の姿をみとめ降りて行った。地元の人間であればなにか知っているかもしれない。
 どうやら初老の男がひとり渓流釣りをしているようだ。早速近づき、もし、と声をかけた。

「何だね」

「物をお訊ねしたいのだが、この近くに陶芸の名人が住んでいる庵をご存じか」

「ああ、なんだあの爺さんのお客さんかい」

 そう言って男は竿を置いて立ち上がり、沢の斜面を登った。

「こちとら日の明けねえうちから釣り糸を垂らしてるんだが、まったくこの頃はついてねえ。おかげでもう丸一日、碌なもんを腹に入れてねえから腹が鳴って困るよ。魚が音で逃げちまう……っと、あれだ、見えるかい、あの山の尾根に三つ並んだ岩が見えるだろう。爺さんの庵はあの右っぱしの岩の根元だよ。そこにうっすら獣道みてえな跡があるだろ、こいつを辿ってゆけば迷わず行けるよ」

 本道に立って指し示された辺りを見れば、確かに無残に折れた一本の根元に、鹿が踏みしめたようなかすかな跡がある。戸部は丁重に礼を言った。

「なにか差し上げられればよいのだが」

「そんならお侍さん、あんた食い物持ってるんだろう」

「それは」

「山の中で飢え死にしそうになってるってのに、銭なんぞもらったところで何の役にも立たねぇや。そいつをくれりゃあもうちっと沢で頑張る気になるってもんだ」

 こうして戸部は風呂敷包みを解き、三つの特大おにぎりのうち一つを男に与えたのだった。
 男が沢に戻ると同時に、しんべえ、喜三太が折よく戻ってきた。三人で例の柏の下を覗いてみれば、たしかにほどよい大きさの岩が転がっていて、それをひっくり返せば座った蛙に見えなくもない。

「行くぞ」

「「はーい」」

 明るい声が重なった。



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