白猫記 4





「……という話だ」

 ぱたん、と本を閉じた潮江文次郎の横顔は、夕方の図書室の灯りにほのぼのと浮かび上がっている。
 彫像のような鼻骨の盛り上がりが、闇に沈んだもう一方の横顔との間にくっきりとした峰を形作る、その峻厳なありさまから目を離して、立花仙蔵はふんと鼻を鳴らした。

「で? それを私に語ってどうしろと?」

 たまたま名前が同じ白猫と武士の話を読んだからとて感傷的になるなどこの男らしくもない。それはフィクションだし、大体、今は平成だ。

「いや……、なんとなく、俺はお前に謝りたくなったんだ」

 しおらしい文次郎の様子に噴き出した仙蔵は、やがて目の端をぬぐいながら、思いがけず真剣な声音で言った。

「それこそ謝るには及ばない。もし私がその猫だったとしたら、お前に謝罪など要求するものか」

 だって、その猫はしあわせだったのだ。たとえやっと会えた待ち人に記憶がなくても、どんなに短い間でも、可愛がられ慈しまれて、一緒に暮らすことができたのだ。
 その事実の前には、記憶の有無など何の意味があろう。
 それに。

「その二人はまた会えたんだろうよ……多分な」

「ああ、そうだな」

 ようやく文次郎が険しい眉根を開く。

 ひとと獣の境を越え巡り合うほどの絆があれば、きっとどこかの時代に再び会えるだろう。

「帰ろう、文次郎」

 仙蔵は文次郎の手首をセーターの上から握る。

「お前のせいで遅くなってしまった。私は肉まんがいいな」

「おう……、って俺がおごるのか」

「当然だ」

 文次郎が本を書架に返すのを待って、仙蔵は彼の手を引っ張るように図書室を出た。その足取りはこころなしか弾んでいる。電気の消えた廊下に図書室の灯りが投げかけるオレンジの帯を横切った時、文次郎は仙蔵の影に一瞬、しゅるりとした尻尾がひらめくのを見た気がした。


    <了>

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