>鋏
しょきん…しょきん…
授業を終えた文次郎の袖を、仙蔵が不機嫌な顔でひいた。
「髪がのびたな」
こうなると文次郎は、その日の夕方仙蔵から逃れるすべは無い。
現に今こうして仙蔵の前に大人しく座って、彼が鋏で襟足をそろえるのに任せている。
しょきん…しょきん…
いつの頃からか、文次郎の髪を切るのは仙蔵の務めになった。
いつ切るだとかどれほど切るだとかは完全に仙蔵任せであったが、彼自身の長く艶やかな髪とは対照的に、文次郎の髪が肩を超すことは稀である。それ以上のびると仙蔵は即座に見とがめて、文次郎は今日のように素人散髪屋に身をゆだねる派目になるのだ。
「なあ、仙蔵」
「なんだ」
「斎藤が」
「駄目だ」
「……斎藤が、練習も兼ねて俺の髪を切りたいと……言っていたがなんでもない」
「よろしい」
しょきん…しょきん…しょ…きん。
「できた」
「おう、ありがとな」
仙蔵は下に敷いていた懐紙の上に、そこからこぼれた髪の毛を丁寧に拾って載せ、いつものように懐紙ごと折り畳んで立ち上がる。
「なあ、いつも思ってたんだが、それどうすんだ」
「安心しろ、呪いの人形の中に入れたりなどせんよ」
「バカタレ」
「ちゃんと捨てる」
「そうか」
文次郎も立ち上がり、自分で髷を結うと鍛錬が待つ裏山へ飛び出していった。残された仙蔵は、ついたての奥からもうひとつ似たような懐紙の包みを取り出して開く。長さは二寸ほどでもその艶と手触りで間違えようもない、それは仙蔵の髪。二葉を両手に持ち、文次郎のそれをもう一方の上に重ねて再び折り畳んだ。
灯火に載せれば、一瞬消えたかのように見えた炎は重なった懐紙の縁から橙色の舌を出し、鼻につく独特の匂いを発しながら包みは見る間に燃え尽きた。
それを確かめて詰めていた息を吐く。鋏を持ったその後に、何度となく繰り返されてきた行為。それは仙蔵だけの儀式であった。
髪には魂が宿るという。ならばこのからだが燃えてなくなるその時は、文次郎に、文次郎だけにこの黒髪を託そう。
文次郎、お前は私の亡き後も、きっと泣きながらこの世を渡ってゆくだろうから。
「なあ、文次郎。もしも仮にだ。私が死んだらお前はどうする」
「なんだ、昨日の授業ではじめて戦場に行って、こわくなったか」
「ばかをいえ。仮の話だ」
「そうだな……あぁ、お前の髪を、ひと房もらおうか」
>ふたつとない
「立花先輩、潮江先輩、こんにちは」
二人をみとめた雷蔵がにこやかに言う横で、同じ顔が無表情のまま一礼する。
「ああ、不破。長次がお前を探していたぞ」
「えっ、なにかあったのかな」
「知らんが早く行った方がいいんじゃないか」
慌てた雷蔵がそれでも丁寧に礼を言って、ぱたぱたと廊下を今来た方に戻ってゆく。
それを見送った三郎は、むっすりと口を引き結んで報を告げた仙蔵を見た。
「これから雷蔵と、今度の火薬のテストに備えて勉強しようと思ってたんですが」
「残念だな」
「まったくですよ! ああ、先輩方に会わなければよかった」
「そう言うな。火薬のことなら詫び代わりに教えてやろう」
妙に機嫌がいいらしい仙蔵はころころと笑って、三郎の肩を叩く。
「じゃああとで雷蔵にも伝えますから、今から部屋に来ていただけますか」
「よかろう、ちょうど文次郎の辛気臭い顔にも見飽きていたところだ。この荷物を置いてくるから待っていろ」
そう言って仙蔵は早くも踵を返し、文次郎を残して歩き去る。これまた無表情でそれを見送った文次郎に三郎はわざとらしく微笑んで見せた。
「邪魔をしないでくださいね、先輩」
すばやく笑みを消して横を通り過ぎようとした青い袖を掴めば、三郎はわずかに目を見開いた。驚いているのではない。あくまで親友の驚いたときの顔だ。文次郎は眉根を寄せてその顔を睨んだ。
「鉢屋よ」
「はい」
「お前がなにをしようと構わんが、あいつの顔を真似たらその時はその皮ひんむいてやるからそう思え」
「おお怖!」
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