凝視
何百もの目。
もはや動く術を失って久しい、ただ濁りきった黒い球体と化したはずの目、目、目。
その奥に生命の息吹はちらとも感じられないのに、それでも一つ一つの目玉は諸行無常の道理を超えた怨念を纏わせて彼を見つめていた。
数日前には、主のために世々の不思議を次々と写しては、昼となく夜となく彼などが思いもつかぬ遠海を渡っていた目だ。
それが今や、主は哀れ虜囚の末に命を落とし、ただ恨みごとも言えぬ目だけが、言葉を伴うよりさらに強烈な憤怒をもって彼と対話していた。
だが、ここでくじけてはいけない。
何故なら、彼も命が掛かっているからだった。この目を破壊しなければ、彼とて生きてこの場所から出ることは叶わないだろう。
ぶるり、と武者震いが全身を駆け巡る。生唾を飲み込み、いざ、手を伸ばす―――。
「やっぱ駄目だよーー、シラス怖いっ」
伊作が情けない悲鳴を上げて箸を取り落としたのは、その直後だった。小鉢から一匹摘まみだされたシラスが、ぽかーんと口を開けたまま膳の上に転がっている。留三郎はそれを横から摘まんで口に入れると、次は小鉢ごと自分の膳に移した。キュウリの酢の物に乗っていたシラスをすべて自分の分の上に空けてしまうと、緑色だけになった小鉢を伊作の膳へもどしてやる。
「分かった分かった、食べてやるから、な」
「うう、やっぱり駄目だ」
「そうでもないぞ、箸で持てただけでも進歩だって。そのうち食べれるようになるさ」
「そうかな、だといいけど」
伊作は、キュウリの酢の物をしゃくしゃくと咀嚼しながら溜息をつく。爽やかなキュウリの淡白な味に絡む、僅かに残った磯の味。儚いそれに舌を集中させて味わいながら、シラスの味そのものは悪くないのに、と自分でも思った。
「でも、どうしてもあの目が駄目でさ、一杯こっちを見てるようなのが」
「目をつぶって喰えばいいだろうが」
横やりを入れたのは文次郎で、シラスが怖いなんて変な奴だな、と小平太が笑っている。だが、その小平太は奈良漬けが出るたびにさっさと長次に渡しているので、克服しようと努力している自分の方がましではないか、と伊作は内心で言い返した。
「目をつぶっても、見えちゃうんだよ、頭の中で」
「どんなに酷い怪我でも平気で直視できる伊作にしては、妙なものを怖がる」と、仙蔵が変に感心した調子で言った。
「もう、なんとでも言ってよ」
旨そうにシラスを4匹ほどまとめて口に運んでいる留三郎、というより口に運ばれていく8個の目がじろりとこちらを睨んでくる様子、から目をそらすようにして伊作は投げやりな調子だった。背中に刺さってくる食堂のおばちゃんの目線が痛い。
願わくは、シラスご飯が食堂のメニューに出ないこと。
『お残しは、ゆるしまへんでー!』
おばちゃんの合言葉を聞きながら、彼はそっと天に願をかけた。
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