Act.5 「やさしいキスをして」
文次郎の髪を、肩を、足を、降りしきる雨は濡らしてゆく。
持って出たビニール傘は走るのに邪魔で、いつのまにか投げ捨てていた。
水たまりを盛大に散らし、焼けつく肺を抱え、それでも彼は立ち止まらない。
灰色の街の向こうにクリーム色の駅舎が見えた。これは賭けだ。仙蔵が電車に乗るという保証はなかった。だが迷っている暇は無い。
踏切の音がする。
規則的な音を立てて、電車がホームに滑り込んできた。財布を出すのももどかしく、制止の声を置き去りに改札横の柵を飛び越える。
電車から吐き出される人波であっという間にホームは埋まってしまう。その波の間でもがくようにして文次郎は仙蔵の姿を探した。
鳴り響く発車ベル。
2両目の奥の手前のドアに吸い込まれる黒髪が見えた。
手を伸ばす。ぶつかった誰かの舌打ち。あと一歩。
ドアが閉まる直前に、文次郎の腕はドアの隙間に伸びて、湿った白いTシャツの裾を掴んでいた。
鋭い警笛が響いて、重い音と共にもう一度ドアが開く。
呆気にとられた顔の仙蔵がいた。
ドアが開いた隙に、有無を言わさず引っ張り出す。よろけた体はホームの上でたたらを踏み、そのまま文次郎に抱きとめられる。
もう一度警笛がして、今度こそドアは閉まり、水玉模様の硝子越しに二人を見つめる乗客を乗せて電車は動き出した。
「もんじ、ろう」
「行くな」
「でも」
「行ってほしくない」
やはり仙蔵の体は細く、背中に回した腕に骨があたる。その痛みを文次郎は心底愛しく思った。
「出て行った理由なんて構うものか。俺はお前を行かせたくない。俺のわがままだとしても」
肩にことん、と重みがのって、首筋にあたたかい息がかかる。低く、震える声が耳に届いた。
「文次郎の馬鹿。せっかく私が覚悟を決めたのに。共倒れだぞ」
「望むところだ」
今や二人は駅のベンチに座り、肩を寄せ合ってうすく煙る雨を見ていた。
文次郎の腕は仙蔵の肩を抱き、その髪を撫でるたびに仙蔵からかすかな吐息が漏れる。
今日が、この日が、終わるその瞬間横にいられるのなら、他に何も欲しはしない。
明日が来なくても構わない。
決して結ばれない、報われない想いだけれど、それでもこれは恋なのだ。運命の出会いは確かにここにあった。


6い祭2011投稿作品。
章タイトルとイメージに拝借した曲のアーティストは以下(タグで検索避け済み、act1から順番)
及川光博
aiko
GO!GO!7188
ポルノグラフィティ
DREAMS COME TRUE
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